不必要な情報を自らシャットアウトすることの大切さを感じるって本当?
TVを見ないという選択肢やテレビでの時間の消費に気付いたって本当?
こんな疑問に答えます。
英語を勉強中の執筆当時22歳の僕が解説していきます。
不必要な情報を自らシャットアウトすることの大切さ【TVを見ないという選択肢】
日本は情報が多すぎる。
インターネット時代になってから尚更である。
NYは情報が少なくてのんびり暮らせる
(らしい。NYで暮らしてみたい)
情報が多ければ多いほど有益というのは嘘では?
情報が多ければ、多いほど有益だという考え方は間違っている。
しかしそれに気付けるのは難しいとも思う。
私は、最近になってようやく気付いた。
不必要な情報は自ら努力して、制限すべきなのだ。
日本は制約の大切さの意識があんまりない
日本にはそもそも制限、制約という考え方が稀薄だ。
裏で必死になって規制してるおかげで保たれているものに気づけない
麻薬問題だって日本は治安が良く、幸い制限されているのに、裏でどんなに頑張って規制しているのかみんな知らない。
歴史も知らない。
みんなが規制を訴えたり、デモしたり(まあ要するに主張文化がない)ということがない。
だから、日本人の良識に頼って、ルールを厳守させようとする古い風習が残っていると思う。
良識にいつまでも頼り続けるのもどうかと思う。
規制しすぎても、自由が失われるということにもつながるのかも知れないが。
まあ、みんながどうこうはどうでもいいのだが、不必要な情報を見ない、与えない、知らないこと・・・
見ないという選択肢でだいぶ気持ちが変わる
「知らないという選択肢」はとても大事なことだと感じる。
民法のTV番組を見ないと、他の面白い番組に気付ける。
NHKhiは良質なドキュメンタリーやライブ番組をやっている。
SpaceShowerやAXN、FOXの海外ドラマは面白い。
民放の商業主義の買わせようとする空気感は時に疲れる
なにより、不快なCMを見なくて良いのが心地よい。
商業主義の洗脳合戦はもうこりごりだ。
普段は何気なく見ているが、CMの一方的な傲慢な世間への刷り込みと、モノを買わせる暴力は見てられないモノがある。
あれは無意識下にストレスとして蓄積されていく。
なので、民放の番組を見たいときはCMカットで見る。
不必要な情報を自らシャットアウトすると変わる点【消費の嘘に気付く】
テレビでの時間の消費に気付く
TVをやめると、時間が出来る。
TVという消費産業に奪取されてきた時間がようやく解放されるのだ。
他にあれこれやってみようという気になる。
会話が生まれる。
セレブはTVなんて見ないという話がわかる気がする。
TVを見るという行為は商業主義の奴隷に成り下がった愚劣な行為であるから。
(言い過ぎかも知れない)
匿名掲示板での意見は本当に意味のある姿なんだろうか
同じように、不必要と感じるものとして、2ちゃんねるもそうだ。
レスポンスが返ってくるのは楽しい
2ちゃんねるははっきり言って、楽しい。
すぐにレスポンスが返ってくるし、注目を浴びられるし、やっぱり人と接するのは楽しい。
しかし、いろんな所で言われてるように2ちゃんは感情のメディアであるから、性質上、負の感情がどんどんぶつけられる。
2ちゃんをみるとどんどんストレスが貯まる仕組みになっている。
楽しいからこそ、我慢しなくてはいけないのだ。
時間の無駄とか云々じゃなくて、精神の無駄である。
わざわざイラツキに行くのは利口じゃない。
だから、楽しいのは認めるけど頑張って我慢しなくちゃいけないのだ。
理性をもった人間なら。
匿名性の時代が終わると次のコミュニケーションが始まる予感がする
それに、これもTV同様、2ちゃんをやめるとネットのもっと楽しい新しい世界が見えてくる。
特に日本ではネットの発展が2ちゃんによって遮られがちだと思う。
匿名性のネットということからそろそろ巣立つ時期だと思うのだ。