良いものを長く使うことが大切であると思うってなんで?
こんな疑問に答えます。
英語を勉強中の執筆当時22歳の僕が解説していきます。
良いものを長く使うことが大切である理由【その方が消費者の選択肢が広がるのでは】
いつからか新しいものに魅力を感じなくなった。
まだ使えるものに手を加えて、使い続けようと思う。
消費しないことは経済全体に良いのか悪いのか
それは、一瞬の忍耐が必要なだけだ。
すぐに新しいものにとびつくのは、その一瞬の忍耐すら持ち得ない欲望のおぼれてる人間に思える。
それはなにより「消費しないこと」につながる。
経済的に考えると、消費しないことは良いのか悪いのか。
僕は非常にお得であると思う。
世界全体のリソースを効率的にさばいていると考えるから。
でもファストファッションの時代に突入して逆に質を吟味するようになったかも
ファストファッションへ移行していったのは、個人の嗜好が変化したからだろうか?
世間的なこの時流は良いものを長く使い続ける方向へ向いているのだろうか?
ユニクロの盛況について考えてみよう。
2009年の今、不景気が理由だとか言われてるが、人々は高級なブランド服を買いあさるのをやめ、みんなユニクロを買っているようだ。
高級ブランド思考は減った気がする
そういった消費傾向は、ブランドという付加価値を求めるのをやめ、単純に良いものを求めている結果じゃないだろうか。
質の良さや費用対効果を考えるようになった
安いからという理由だけでユニクロを買っているのではない。
質がいいからみんな買っているのだ。
それでは、ブランドものの方が質がいいのに、矛盾してない?
ということになる。
その点についてははっきり言って、ユニクロのちょっと上の層の服飾品の質と値段はまったく合致してないと思う。
もちろん、みんな釣り合ってないことに昔から気付いていて、ブランドという付加価値分の値段払ってブランド品を買っていたんだろう。
けど、それが間違い・・・というか、馬鹿らしいんだと気づいたんではなかろうか。
モノの真正なる価値を見極める賢い消費者が増えてきたって事だ。
つまり、安いもの・高いものじゃなくて、良いもの・悪いものという区別を、辛いけど頑張って消費者が選美眼凝らす時代になったのではないだろうか。
ユニクロは良いものである。
ただ、今後どうなっていくかはわからない。
良いものを長く使うのに時代は反している【100円ショップはなくなればいいのか】
100円ショップの台頭で長く使う習慣は消えた
100円ショップの存在について考えてみる。
私は、はっきりいって100円ショップなんてさっさとなくなれば良いと思う。
あれが台頭してきてから、世の中から長く使える良いものが消え失せた。
100円でもいいと割り切られてしまったものの復活はない
ほうきなどの伝統的な一部の道具は高級品以外消え失せた
例えば、ほうき一つとっても(ほうきなんて使わないかもしれないけど)昔は、ちゃんと精巧につくられてちゃんと機能するものが売られており、家庭にもそれが存在した。
今は、どうだろう。家庭のほとんどのものは100円ショップのガラクタに置き換わった。
それらは非常にデザインも悪いし、使いにくいし、何より、すぐにゴミになる。
わかると思うけど、もちろん資源の無駄である。
商業主義の影のひとつだ。
100円ショップのモノしか選択肢がない
なにしろ、100円でもいいと割り切られてしまったモノ(仕分け容器とかファイルとかその類)は、もはや100円ショップのモノしか選択肢がない。
ブラックバスの生態系の破壊並みに、100円ショップは質の高い、日本の工業製品を駆逐したと思う。
そのせいで、手作業で造った良いほうきとか、ハサミとか、そういったものは物流の流れから消えてしまった。
ああいう良いものを造っている生産者にお金が廻らない仕組みになってしまった。
悲しい。
そのせいでどんだけの手工業や良いものが絶滅しただろう。
あの丁寧な品は10年も20年も持つのだ。
ああいった製品を使うことが、人間の幸せにも直結してると思うのだが、SHARPとかSONYの商業主義の前には、届かないんだろうなあ。
電気製品だって、昔のものはデザインも丈夫さも兼ね備えていた。
古い製品を修理したりする機会とその経済システムが復活するといいのかも
100円ショップを駆逐して、古い製品を修理したりする機会を増やすべきだよね。
建築も都市も同じだ。日本は何でも壊しすぎ。きっと”保存脳”が育っていないんだろう。