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さらっと心を撫でてくれるような映画
ストーリーなんてシンプルでいいんだ。
と思わせてくれる。
重厚なボリュームを感じさせず、さらっと心を撫でてくれるようなこの映画は
”山崎まさよし”もうそれだけで魅せてくれる。
冒頭わずか十分近くで、気持ちよく主人公花火の置かれてる状況が見えてくる。
煮詰まったミュージシャン。
世間とは切り離されたなんか特異な、それでいてちょっと憧れるような世界に生きている。
キャベツを育てて、時にはドライブをして、綺麗とはいえない木造ハウスで
曲の降臨を待つ。いや、作る気はなかったかもしれない。
そんな場の雰囲気が花火という人の魅力をまた引き出す。
山崎まさよしという人物は映画ドラマではあまり扱われなかった男性像
山崎まさよしという人物は、俳優として登場するとき、
どうしてあんなに魅力的に映るのだろう。
JamFilmsでの篠原涼子との共演を見たのが初めてだったが、
衝撃だった。
きっと、いままで映画ドラマではあまり扱われなかった男性像が描かれているから
じゃないだろうか。
月とキャベツでは、花火はわりと無口で無愛想な第一印象だ。
しかし、一人ナイフを振ってみたりキャベツを育てたりする姿には、理由なく無邪気さを感じてしまう。
楽しそうに皆で歌うシーン、自転車で追いかけるシーンは顔から体から押さえ切れない、
愛嬌と人懐こさがあふれ出ている。
そして火花にダンスをせがむ表情、キャベツをむさぼるシーン、そしてラブシーンのしつこくキスをねぶる様、にはこれまたあふれんばかりの男らしさ、あるいは母性本能をくすぐるとでも言うのか、野性っぽさがとても漂うのだ。
それがまた、俳優では逆に出せないような素人っぽさがでてていい。リアル感が増すせいだろうか。
素の山崎まさよしから直に伝わってくる気がするのだ。
花火と火花の行動、言動の一つ一つがまた繊細で人間くさい
そんな主人公の雰囲気の魅力に加えて、花火と火花の行動、言動の一つ一つがまた繊細で人間くさくていい。
こいつムカつく!くらいの序盤の火花のわがままっぷりも、17歳の女の子、しかもちょっと強がりな性格を表していて巧い。あのわがままや、秘密をひたすら隠す強情さがあるから、ちょっと弱気な素直なときが可愛いな、って思える。
実は死んでましたっていうトンでも設定も、ギリギリまで気づかなかった。
それも、火花のちょっとほかの女の子とは違うような、繊細さと影のある感じを出していたからではないかな。行動にそこまで異常さを感じさせないから。
家に帰って一人きりを実感した瞬間にかんじる孤独感
一番あれっと思ったのは、花火が火花を家に置こうと覚悟したシーンだ。
あれっと思ったがゆえに深く考えたら、逆に一番感心した。
はじめは覚悟するの早すぎないかと思ったのだ。火花は変なやつだし、花火はあんなに嫌がってたのに。
しかしあの早さが、花火の心情を表しているんではないだろうか。
一日火花と過ごした後、家に帰って一人きりを実感した瞬間にかんじる孤独感。
きっと迷っていたんではないだろうか。このままでいいのだろうか、ずっと。
今のままではどんどんだめになって行くかもしれない。
火花が居たら何か変わるかもしれない、自分が必要としているのは相手かもしれない。
落書きがまた拍車をかける…と。
うまいなあ、この流れ。レコード会社のダンカンの圧力も伏線になってるよなあ。
One more time, one more chanceという曲が実際にできていく様子
One more time, one more chanceという曲が実際にできていく様子を再現するというのが、また実におもしろい。僕もいち創作者として少し共感する部分もあったり、見習う部分もあったり。
作品って作ろうと思ってできるわけじゃなく、ほんとに降りてくるものなんだと。
紙を部屋中にちらかしてみたり(結果的にそうなったり)、キャベツを育ててみても、
ほんとうは火花との日々のような、心の充実、というか心のきらめきみたいなものが、
より作品につながることになったりする。
それはきっと、わかってるんだよね、心の底では。
でもどうしたらきらめくかもまた難しい。
One more time, one more chanceをはじめて聞いた小学生のころが懐かしい。
この曲で”君”は別れたんじゃなくて、死んじゃったんじゃないかってずっと思ってた。
ホントはどうか知らないがまさにこの映画にぴったり、俺も奇跡だと思うよ、篠原監督。
この曲を機に山崎まさよしがブレイクしていった時期がほんとに懐かしい。
映画でも若かったしね。
この時代の邦画ってつまらないの多かった気もするが、
これは名作ですな。長年評価され続けているのがわかる。