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ゲド戦記(「死」というものの認識・受け入れが「生きることの」の究極の答え) - 上場企業を辞めた東大生が月収20万円でもアジア勤務を選んだ理由

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ゲド戦記(「死」というものの認識・受け入れが「生きることの」の究極の答え)

投稿日:2006年8月16日 更新日:

「死」とういうテーマが難しすぎたのが原因で不評な映画

「わけがわからない」という感想が多いのは頷ける。
きっと「死」とういうテーマが難しすぎたのが一因だと僕は思う。
だけど、そんなこと考えなくても十分おもしろいと思う。
登場人物は極めて少ないし、勧善懲悪のすっきり迫力ストーリー。
お子様にもオススメできる。

「死」というものは何なんだろうか?

では大人は、根幹のテーマについて考えてみよう。
「死」というものは何なんだろうか?
人は死んだらどうなるの?が幼い子供が尋ねる疑問の定番であるように
「死」の問題には誰もが直面し、通り抜けなければならない通過点であるように思う。
王子アレンにもその時が訪れた。

僕らもきっとこの難関をくぐり抜けてきた。
僕もそうだ。

死んだら生まれ変わるのかな、死んだらモノになるっていうからきっと考えることなんてできないんだ、とか、
いつか死ぬならこの金使っちゃおうかな、孫が大ききなるときには俺は生きてないんだろうな・・・などなど。
と、死に関する問題は日常の端々で姿を見せる。
けど、やっぱり基本的には僕等自身によって封印されがちだ。
だって「死」を考え続けるのは辛いし、答えがないから。でしょ?
でもアレンも考えてるんだから一緒に考えなきゃ。この映画に取り残されてしまう。

「何で生きるのか?」にたどり着く

さて「死」というものとにらめっこを続けると、必ず「何で生きるのか?」にたどり着くと思う。
いつか必ず死ぬなら生きていたって仕方ないじゃないか。
生きる意味はあるのか。いったい俺は何のために生きているのか。
生きていることに意味なんてないじゃないか!!
と、このような思考でアレンは父親を殺したんだと僕は思っている。
原作も読んでないし、劇中であまり語られていない以上、
このアレンが父親を殺した理由を想像するしかないって所がちょっと辛いが。
そうして「死」を否定的に考えたアレンは、生きる意味をなくし、同じく「死」を否定的に考えるクモにとらわれていく。

「死」というものの認識・受け入れが「生きることの」の究極の答え

「何で生きるのか?」を考えて生きている人間なんてそうそういないよな、と僕は思っている。
おそらく多くの人間は生きることなんて当たり前だとそう思って生きているんじゃないかと疑っている。
けど何でそんな風に当たり前のように振る舞うことが可能なんだろう。
だって自殺志願者の気持ちになってみると、もう死にたいよ、なんでみんな生きてんだよ。何でみんな生者やってんだよ、
なんで当たり前のような顔して毎朝毎朝新しい日を迎えるのかと非常に疑問に思えてくる。
そこで舞い降りてくる存在「死」である。僕等はいつか死ぬということを”知って”いる。
少なくとも、いつか死ぬということを理解している。。「死」は自ら向かわなくとも、自然に向こうから訪れる、そうごくごく自然なものだと”知って”いるのだ。
結局「死」というものの認識・受け入れが「生きることの」の究極の答えであるのだ。

「死」は否定的なものじゃなく、生に意味を与える肯定的なものである

テルーのいう「いつか死ぬからこそ、生きる意味があるんだよ」とか言う台詞はまさにそういうことだろう。
当たり前のことなのかもしれないが、こういったことを哲学書で読んだとき、ちょうど17歳くらいの時、僕は電撃が走ったように衝撃だった。
こういったこと-つまり「死」は否定的なものじゃなく、生に意味を与える肯定的なものであるということ。
死があることを前提として、生きること、生きる意味、意義すべてが生まれてくるということ。
そういったことをこの映画は伝えたっかたんだと僕は思う。
ほんとに衝撃的なことなんだ。死があるからこそ、すべて存在すると気付くことは。

「死」の問題を忘れ去るのではなく、しっかりと心に刻んだアレン(若干、映画として感情表現読み取りが客任せ)

どうせ死ぬなら何をしても変わりない、何をしても意味はない。
それが一転、最後にはすがすがしい笑顔を見せたアレン。
このアレンの心境変化の細かい様子も結構観客任せで、難易度高しである。
が、テルーにいのちの大切さを学んだに違いない。
孤独で辛い環境でもとても強く生き抜くテルーには、ジブリよろしくの生命力が満ちあふれている。
死を恐れるでも、否定的にとらえるでもなく、ただただ生の、生きていることへの享受を十分に感じる心を少し分けてもらったに違いない。
「死」の問題を忘れ去るのではなく、しっかりと心に刻んだアレンはきっと強く生きていくのだろう。

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