狂っている。
狂っている。
この映画は完全に狂っている。
目次
この映画は戦争映画である
もう間違いなく戦争映画といっていいこの映画は、大友克洋が狂っているとはじめからわかっていたとはいえ、こっちまで被爆しちゃいそうな作品だ。間違いなく18歳以下は視聴禁止だ。
いや、むしろそこを考えるべきなのかもしれない。子供に見せるものなのか・・・と。
アメリカ映画ではありえない映画だ。そして文句の付けようのない150パーセントの24億アニメは日本にしかできない自信もある。そしてなにより、非戦争国日本だから作れる映画なのではないだろうか。
科学とは何なのか、人間に利益を与えるものなのか、非なるものか
科学とは何なのか。人間に利益を与えるものなのか、非なるものか。必要なのか、不必要なのか。
普遍的なこの主題は、21世紀のたった今も現在進行形で、考えなければならないものだろう。
強大な力が生まれてしまったせいで、何が変わったか。いやおう言わせずに相手をひれ伏すことが出来るようになった。
一瞬で殺せるようになった。そう、一時の感情で人をコロせるようになった。
それは、スチームボールであり、銃であり、そして原爆であり、そして科学・・・のゆえだ。
一時の感情に頼って人間は暴力武力を使う
この映画は感情が爆発して相手を殺傷する、しかし上手くいかずしばらくたって、状況が変わり、2人がすぐに平然と話していたりする場面が多い。
わざとかもしれない。そう、それだけ一時の感情に頼って人間は暴力武力を使うということを強く表現してると思う。
スカーレットの
“なんで打つのよ、危ないじゃない”
という台詞が、劇中何度繰り返されることか。
しかし、それ以上にレイは常に危ない。
(あれ、死んでるだろ普通なら。)
一瞬にして殺せるなんてことは出来てはいけないのだ
原爆をつくってしまったアインシュタインの苦悩、批判。先日科学技術の講義で学んだ。
人類が原爆を見てしまった以上、悲劇は繰り返される。まさにそういうことでしょ。
世の中の人間が見てしまうことがスベテなのだ。相手をひれ伏させる技術の処理能力があがった、上がっていくのだ。
そのうち死ねと思った瞬間に殺せるようになるかもしれない、デスノートに書き込むまでもなく。
そしてやっぱり僕は思う。科学の制限は必要だ。
一瞬にして殺せるなんてことは出来てはいけないのだ。
どう考えても、一瞬でズキュンってやっちゃうから上手くいってないじゃないか、アメリカ。
いまも殺戮のシーンが頭をめぐる。
子供はどう思うのか・・・
父が祖父が、政府が狂っていく中で、冷静に自分の価値基準に凝り固まらず、何が一番正しいのか、何をすべきなのか考えられたのはレイだけだった。
自分を持っていないから騙されやすい、けど自分を持っていないから、毒されない本当の答えにたどり着けるのかもしれない。少年は。
安易に戦争良くないとか言うんじゃなしに、戦争兵器というもののあらゆる面を描き、新しい世代に提示していかなければならないのではないか
いろんな人の行動を観て、言うことを聞いてレイは確信を持っていく。
ここらへん、メッセージ性として素晴らしい。
そのために僕らは戦争兵器というもののあらゆる面を描き、提示していかなければならないのだ。新しい世代に。
よく言われていることだけども、本当にそう思う。
安易に戦争良くないとか言うんじゃなしにね。
それなら、子供に見てもらおうか。