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ブログを実名で書くことの意義

投稿日:2009年4月5日 更新日:

ブログを実名で書くことの意義を考えると自分を伝えやすいが距離感に不安が生まれるって本当?
こんな疑問に答えます。

英語を勉強中の執筆当時22歳の僕が解説していきます。

ブログを実名で書くことの意義【考えを伝えやすいが距離感に不安が生まれる】

2008年頃から実名配信の抵抗がなくなってきたと感じる

昨今のtwiterやfacebookの台頭を見てると、実名で情報を発信すること、ブログを各事への抵抗がなくなってきているように思える。

もちろん日本なんかではmixiなんかの閉鎖的SNSが中心的で、まだまだ実名でブログを書いている人は少ない。
国民性の違いはおいて置いて、実名でブログをやることにどんなメリット・意義があるのか考えてみたい。

といっても、今現在では私は実名でブログをやる行為はデメリットの方が多いと思っている。

ブログを実名でやるメリットは自分の考えを伝えやすいこと

ここでメリットを挙げるとすると、自分の考えていることを相手に伝えやすいということだろう。

人間が考えてる事って、ものすごい膨大な量の事であり、言葉で発しきれないくらいだ。
日常的に関わっている家族や恋人にだって、そのすべては伝わっていないはずである。

ブログで文章にして書き表すと、その人が何をどんな風に考えてるのかその詳細が目に見て取れる。
これは、便利社会で人間関係が稀薄になって物理的接触が少ない中でも、相手の考えが容易く知れる。
人間と人間の距離を近くしているのかもしれない・・・

相手の考えが容易く知れることは距離をつなげることにはなっていないと思う

ところが、それは大きな間違いで、相手の考えが容易く知れることは全く持って人と人の距離をつなげることにはなっていないと思う。

実際に会わない友達のブログを日々読んでいると距離感が一方的になる

実際に会わない友達のブログを日々読んでいると、その人の生活を近くで見ているような気持ちになる。
相手の行動や考えを知っているし(それがたとえ日記のよ うに詳細が書かれているブログじゃなくても)、精神的な距離は近づく。
物理的な距離感は遠いままなのに、精神的距離だけが近づく。

その人に対する勝手な妄想が進み、一歩的な仮想の接触が頭の中で行われる。
これは非常に危険なことであると思う。

過度の期待や、思考のスピードの違い、すれ違いを生む原因になる。

そもそも、自身に対する情報を相手だけが一方的に知っている状況を想像してみて欲しい。怖いだろう。影で悪口言われてるような感覚だ。

一方通行の情報のやりとりと物理的距離と精神的距離の相違に問題がある

大きな原因はこの一方通行の情報のやりとり、と物理的距離と精神的距離の相違に問題がある。

もちろん、有名人のように、相手との物理的距離感が絶対前提であり、そのなかで親近感というファン心理を狙ってやってるなら何も問題ない。
だが、友達や知り合いなど、普段つきあっていく人は別だと思う。

あ、ネット上での付き合いというのは、私は全否定なので、ここでは挙げない。

総合的に推理されてしまうのがブログの怖いところ

私の場合、秘密が多いから、実名でブログは書きたくない。
そのことを直接的に書かなくても、総合的に推理されてしまうのが、ブログの怖いところである。
それに知ってしまったら面白くないんじゃないかな。

その人を知っていく過程が、人と人との付き合いの面白さでもあると思うし。
(プライベートな話を論考とを別にして書いていれば割合ましかもしれないけどね)

限定公開により距離感は調整できるのか

あと、マシになる方法はもう一つ。限定公開だ。

先程、言ったように物理的距離と精神的距離の相違がなくなればいいのだから、実際に近い距離に居る人だけに限定的に公開すれば何の問題もない。
それでも十分ブログのメリット活かしていると私は思う。
一般の人には見てもらいたくない人は利用しやすい。

匿名性だとすぐに無秩序になる心配

悪意のあるなコメントや質問(たとえ悪意がなくても精神的に後退する気分になる類)は2ちゃんなどでよく見られる。
それらを見る・それらを期待する時点で、疲労が生まれると考えてよいと思う。
見知らぬ人のオンライン上の秩序に期待するのは難しそうである。
これについてはまた深い問題だと思う。

限定公開コミュニティが上手くいくとも限らない

東大生のみとか、富裕層のみとか閲覧制限のあるSNSにおいてのブログという選択肢もある。
限定した人だけに公開を許すことが容易くできるし、実名でやりとりできる。
それならいいか?

いいかなあ・・・
いや、それもなんとなくいやな気がする。結局そんなコミュニティでも商業主義に捕らわれたあくどい連中がゴマンといるだろうし、搾取されたくない。
人を信じなすぎだろうか?そこら辺はまだまだ見ぬ世界である。

出版業界の人間は常に実名制

出版業界の人間というのは、実名で日々思うことを発表し、生活している。
あの人達の毎日の暮らしはどうなんだろうか?
身近な人から世界中の人まで、自分の考えがバレバレなわけで、怖くないんだろうか?

アメリカでは自分の意見を主張することは普通

社交界では自分の意見を交換するし、海外ではーアメリカでは自分の意見を主張することは普通だって言う。
相手がどんな意見を持っていようと、自分とは違う意見を持っているのは当たり前であり、それを尊重する文化と風習があるからだろう。

結局は日本人にそれがないから、自分の意見を誇示するのに脅えて居るんだろうか?
僕がブログに恐怖心がある理由はそんな脅えなんだろうか?

現実で対面的に意見を誇示するのと、ブログでのそれは性質が違うけれど・・・

ブログを実名で書くことの意義が変化してきた件【wikiや共有化が進んできた】

ブログは情報の共有化として役に立つかも知れない。
wiki形式に近いものとして効率化につながる。

ブログは共有化を目的に生まれた説

元々ブログはハーバード大学で生まれたものだという。
それこそ、情報の共有化効率化を目指したのであろうが、ハーバード大学の中で限定されていたからそのメリットが生かせたのではないだろうか。
今では、情報が共有されすぎてプライバシーの侵害につながっている欠点の影を落とし始めていると思うのだ。
(2009年10月17日時点での再考)

「人の考えていることを、読み取れたらいいのにな・・・」
っていう未来に夢見た魔法の道具はまさにブログの事じゃないだろうか。
ある意味、恐ろしい。

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