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大人の幸せ "adult happiness" とはなにか

投稿日:2010年4月5日 更新日:

大人の幸せ "adult happiness" とは第3の幸せって本当?
第3の幸せを理解することが大人になるってどういう意味?
こんな疑問に答えます。

英語を勉強中の執筆当時22歳の僕が解説していきます。

大人の幸せーadult happinessというのは誰かの役に立つ幸せだ

先日、"happiness"という題名の英語の素晴らしい文章を教材で読んだ。
出典は結構調べたのですが恐縮ですが不明でした。

幸せについてホンキ出して考えてみることっていうのは、常に大事なことで、難しいことだと思う。
この文章は今の僕に一番しっくりきた。

ここでは、幸せは3つにわけられると述べられている。

  • animal happiness(動物的な幸せ)
  • infantile happiness(自己中心な幸せ)
  • adullt happiness(大人の幸せ)

animal happiness

1つ目のanimal happiness、つまり生理的な幸せは、最低限の衣食住のことであるという。
animal happinessーその名の通り、動物と同じレベルの幸せである。

人間はいい場所に住み、いい食べ物をたべて、いい遺伝子を残したくてセックスする。

それに幸せを感じる人が多いけど、それって実は冷蔵庫の裏に住んで繁殖してるゴキブリと同じレベルだよね、とバッサリこの作者は言いのける。
確かにそうだな・・・

infantile happiness

2つ目のinfantile happinessは、自己中心の幸せであるという。
もっと認められたいとか、旅行に行きたいとか。

これらの①②の幸せと言うのは実にキリがない。
そして中毒性が高いという。

adult happiness

それに対し、大人の幸せーadult happinessというのは誰かの役に立つ幸せだ、とうのだ。

この第3の幸せというのは、誰しもがある時気付くことだと思う。
ある意味、それに気付いているかどうかで僕はその人が大人か子供か判断する材料にしている。

僕にとって、幸福とはこのadult happiness にあたるものだと思う

感情というのは簡単なからくりで出来上がっていないと思う。
そもそもメディアや過去の先人達や周りの人、親の刷り込みで
人々の感情に対するイメージは出来上がっているのかも知れない。
でも実際は、そんな安いドラマとか物語の中に見えるような仕組みで人間の感情は変化したり動いたりするモノじゃないと思う。

つまり、幸福という感情がなんなのかと理解するのは難しいことであると思う。
経験して悟る類のことである。
ただ、今の僕には幸福とはこのadult happiness にあたるものだと思う。

人にいいことをすれば本当にいいことが返ってくるのか?

「情けは人のためならず」の教訓

「情けは人のためならず」という言葉がある。
小学校の時、この「情けは人のためならず」は、甘やかすとその人のためにならない、という意味だと誰かが発表して
先生が長々ときちんとした説明で訂正したことが、今でも鮮明に覚えている。

もちろんその意味もあるのだけれど、これは人にいいことをすると、それが回り回って自分に返ってくるという意味である。
なんで2つの意味があるのかとか、そもそも本当に返ってくるのか?なんで返ってくるとか言っちゃってるのか、当時の僕には謎だった。

同じような言葉が、江川達也の「まじかるタルるーとくん」にも出てくる。
「人にいいことをすればいいことが返ってくるのよ。」と主人公の母親が、主人公に語りかける。
これは実はこの作品の大きな根幹のテーマになっていて、
作中で主人公はその言葉に疑問を覚えふてくされるが、その後成長し、ライバルとの戦いもあり、魔法界にも行き、物語の最後の最後で、それが本当だったと悟るのだ。(しかも小6で!)
僕は小学校の時、この漫画を何度も何度も読んだはずだったのに、イマイチ意味がわからなかった。

世界はつながってる、つながっているとわかるようになった

20才を過ぎて、こういったことの思い出が何度も蘇ってくる。
そして、僕に自問自答させるのだ。
それでも、「いいことをしたら、いいことが返ってくる?wそんなわけないだろ
世の中性悪説で成り立っていて、そんなことバカげてるw」
としかずっと思えなかった。

でも、今は違う。
世界はつながってる。つながっているとわかる。
人にいいことをすると、巡り巡って返ってくるのは確かなようだ。
人にいいことをすることで、自分が幸せを感じるかどうかはまだわからない。そんな他人本位にまだなれないと思う。

それでも、最近は純粋に人に何かを伝えたい、助けになりたいと思う。
誰かを助けることで、自分が救われた気分になる快感とか、自分が何かしてる実感を味わうための自己本位な感情かも知れない、と疑ってみたくなる。
でも自分が味わった痛みを、また誰かに味あわせるのは嫌だなって思う。
自分のしたことで、誰かが喜んでくれたら、心の底から笑ってる自分がいたりする。

これはadult happinessなんだろうか。

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